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ゆるい時代.(前) [考察・ひとりごと]

15年も本田の技を見ていて、今でも思うのが「 ど う し て こ う な っ た 」。

本田は言わずもがなのSUMOUキャラ。でも、相撲らしい技は立小・中Pの張り手と百烈張り手のみ。ほかの技はど~う見ても相撲じゃない。

頭突きは立ち合いでの頭からのぶつかりがベースなんだとは思う。
チョップはプロレスの力道山が由来だと思う。これは力道山が力士出身なのでまぁ分かる。

出足払いはグーパンチなのか、二の腕で脚を刈っているのか未だによく分からない。
四股蹴りは明らかに腰が低すぎるし、脚が短すぎる。2ヒットというのも謎すぎる。
払い蹴りに至っては、軸足を後ろに残したまま、異様に長い脚で地を払って元に戻るという、左脚が地面に突き刺さっていないと出来ないような重心無視のものすごいモーション。

さば折りは決まり手にあるけれど、ああいう絞め技じゃない。折檻蹴りなどは後年の「かわいがり」事件を先取りしたかのような、相撲にあるまじき技。
向う脛蹴り(下小・中K)などは、最初見たとき (・△・)へっ? ←こんな風に目が点になった。体がどういう状態なのか分からなかったからだ。よく見ると、股を大きく開いて状態を強くひねっている。こんな蹴りは類例がない。

格闘技にジャンプ攻撃はないだろ、という当たり前すぎる意見はスルーするとしても、ボディプレスとかケツとか、なぜ相撲取りがハラやケツから地上に落下するのだろうか。元は何に由来するのかすら不明。


そもそも格闘技ではしゃがみで技を出すというのは有り得ない。それは脚から生じ腰を通じての筋力の伝播ができないことや、ウェイトを拳や脚にかけられないこと、立ち位置の取り合いが極端に不利になることなどが理由。
ほとんどの格闘技では、しゃがみというのは中腰を指す。3D系格闘ゲームでのしゃがみ技を見れば解るように……というのは話が脇道に逸れすぎるので置いとく。


ともあれ、自分は本田の通常技が好きで好きで仕方ない。
どうしてこんな技が生まれたんだろう……。それをずっと考えていた。その答えは、初代ストIIが開発されたのが「ゆるい時代」だったからなんだと思う。

つづく
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本当の真剣勝負は時間無制限 [考察・ひとりごと]

前回、SFC版ストII´Turboの必殺技をOFFにするオプションについて書いて、思い出したことがある。
それはタイムを∞にするオプション。これは大抵の家庭用格ゲーにあったと思う。


制限時間は勝負の本質を曲げてしまう。
ゲーセンは経営の都合上、インカムを考えたらどうしたって1プレイあたりの時間を制限せざるを得ない。最近では、ストIVのように3本先取が普通で、実タイムも1ラウンドあたり100秒くらいかけるようになった。けれど、昔は1ラウンド60秒~80秒で、2ラウンド先取のゲームばかりだった。

オリンピックでの格闘競技もそうで、かなり短めの制限時間を設けて、その中での優越を競うスタイルになる。効果や有効でポイントを取ったら、あとは警告を受けない程度に立ち回り、時間切れで勝利を狙うという勝負の決まり方は、誰の目にもスッキリしない。特に、JUDOをみて「胴着を着たレスリング」だと誰しも思うだろう。

時間が無制限になると、ゲームバランスがガラッと変わってくる。
焦る必要がなければじっくり構えられる。技の性能を何一ついじらなくても、ゲームとして別世界になる。
勝利条件が「相手の体力を0にする」に一本化されると、残り体力すべてが駆け引きに使えるチャンスの量になるので、ワンチャンスで相手を倒しにかかれる本田のようなキャラには大いに順風。
逆に、ガイル・ダルのような「相手より体力をリードしたまま逃げ切る」スタイルのキャラも、攻めに転じなくてはいけない状況が出てくる。攻めてくるガイルなんてご馳走以外の何物でもない。

サムライの真剣勝負や柔道の対決で、野原で立ったまま対峙したまま時が過ぎ、日が落ちる頃に両者が動いて一瞬で勝負が決まる、というシーンがある。これ、何が元になってるのか分からないけど、誰でも見たことがあるはず。
誰にも、何にもジャマされない状況で、じっくりどっしり向かい合うのが真剣勝負の理想的なあり方なんじゃないか、と思う。
本田は足の遅さも相まって少々強引な駆け引きを迫られることが少なくない。もっとじっくり構えられれば、と思うことしばしば。仲間内でしか出来ないだろうけど、タイム∞での戦いも面白いに違いない。
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「うまくいってない」と思わせること [考察・ひとりごと]

Voltの豪鬼戦で思ったのが、気持ちの上で押されないことの大切さ。

展開上では豪鬼が遠くから弾を売撃ってばかりなので、動画にしてみれば9割が守勢。
しかし、攻撃力と体力の差で、1割のチャンスに攻撃を刺せれば勝てる。相手にミスが出ればチャンスはその分増える。
ガマンの続く9割の間に、こちらがいかに気持ちの上で圧されないか、が重要。

むこうは「波動拳だけで勝とう」としている。そこでこちらがカリカリして波動拳を食らってしまえば、相手は「うまくいっている」と思い、ますます図に乗る。こちらはうまく近づけず、 ますますカリカリする。
なので、どうもうまく近づけないな、と思ったら、レバーを後ろにいれっぱにしたり、バックジャンプしたりと、接近の真逆をやることにした。すると「とにかく前に出よう」というよくない前向きの気持ちが鎮まり、冷静に戦局をリセットできる。ここで「さて、ここからどう勝つか?」をプランニングするのだ。
ただ下がるだけで相手のアルゴリズムが勝手に変わることもよくある。

ストIIでは、リュウケンの波動拳に飛べないことは承知の承知の承知の承知、完全に諦めの境地なので、菩薩のごとき表情で垂直ジャンプ避けに専念できる。
が、ちょっとジャンプ力が上がって飛び道具が避けやすくなっただけで、また同じ過ちをしてしまった。

格ゲーは「互いの心臓のつかみ合い」とは、さる有名な本田使いの言葉。
体力の量という表面上のことではなく、相手と自分の心をもっと見ないと。
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